| 虐待の定義 |
| 虐待とは権力の乱用、力の誤用という意味があります。社会的に力のある立場の側が弱者の立場の人に対して、その権力を乱用し、相手の立場を踏みにじる行為をいいます。これを子どもの虐待にあてはめると、大人が子どもの人権を侵害する行為のことです。暴力は力関係のなかで起こり、必ず力のある者から力の弱い方へ向けられるという構図があります。おとなと子どもとの間には歴然とした力の差があります。そのため、これを悪用し、ストレスの発散や支配欲を満足させたい、性的な満足を得たいといった目的のために子どもを乱用し、子どもの尊厳を踏みにじる行為をいいます。 |
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| 虐待の潜在意識 |
| でもこのようなことは自分や自分の周りには関係ないことだと思う方が多いでしょう。しかし表面には出なくても、心の深層にはそのような意識がだれでも持ちえているのです。すなわち虐待は、いつでも、どこでも、誰にでも、誰にからでも起きる可能性はあるのです。大事にされていない。自分という存在を軽く見られた。不当な扱いをされた。自分の要求を無視された。このようなことはだれでも程度の差はあれ日常の中で経験し、ストレスになっています。これらを自分の努力で解決できたり、他の方法を見つけたりできれば、ストレスは昇華されます。またたとえかなわなくても別なことに気がむいたり、時間によって気が晴れたりすればストレスは小さなものになり、あまり問題はおきません。しかし心の傷が大きかったり、積み重なったり、閉塞された環境の中で抑鬱した時間が長いと、だれでもそれを発散させたくなります。もしそこに何も知らない、力をもたない小さな子どもがいたら、またその子がまだ手のかかる年齢で自分の能力がその子の世話のために犠牲になっていて、時間的経済的に自分が理想としている生活ができない原因と思い込んでしまっていたら、その子との間に不適切な感情が芽生えていくかもしれません。また仕事や自分の待遇に大きな不満や疲労が許容を超えてしまうと、子どもの世話をすること、子どもを社会的存在として認めることを放棄することもありえるのです。 |
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| 子どものためにまずできること |
虐待や放任の心の芽はだれでも持っています。ですからそれをちょっとでも感じたとき、それをうやむやにしたり、恥ずかしいと感じたり、邪なこととして自分の中に溜め込むことはよくありません。こう感じてしまったということを素直に受け止め、どうしてなのか、何で疲れているのかを考え、夫婦で話し合うとか、おじいちゃん、おばあちゃんに相談するとかまず身近なところで解決の糸口を探してください。それをうやむやなままためこむと、子どもの育て方にひずみができ、子どもの心の成長にも少なからず影響がでます。子どもにとって、生まれてまずお付き合いをするのは家族、特にお母さんなのです。そのお母さんの精神状態が不安定だと、子どもは人間に対して不信感をいただくかもしれません。不信感が強く刻まれたまま成長すると、心の中の反社会的芽は膨大し、大人になったとき大きな社会問題をおこすことになりかねません。 子どもを持つ家庭では、子どもを取り巻くひとりひとりの心が安定していなければなりません。しかし仕事等で生活のため社会の中で生きていく以上、大人はだれでもストレスにさいなまれています。夫婦で支えあいながら、時には実家の協力もお願いして、子どもの前にいるときにはにこやかにゆっくりといてあげてください。そうしたことの地道な積み重ねが、子どもにとっては豊かな人間関係を形成してために重要なことになるのです。 |